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古事記15:崇神天皇のお話-第10代崇神天皇の地方平定- | Just another WordPress site


テーマ:古事記

第十代の崇神天皇(スジンテンノウ)の時代に入ると、国中に疫病が大流行しました。

 

天皇が、「どうしたものか」と悩んでいたある夜、夢の中に大物主神(オオモノヌシノカミ)が現れました。

 

<出ました!大物主神(オオモノヌシノカミ)。矢に化けてトイレで待ち伏せし、用を足している女性の陰部めがけて突き刺さった例のヘンタイ神様です。(´・ω・`)>

 

オオモノヌシノカミは夢の中で天皇に、

 

「意富多多泥古(オオタタネコ)にワシを祀らせよ」

 

と告げます。

 

そこで天皇は、四方八方手を尽くして意富多多泥古(オオタタネコ)という人物を探させ、そしてやっと見つけ出します。

 

そして、オオタタネコが神主となってオオモノヌシを祀ると、国中に大流行していた疫病が治まり、国は平安になりました。

 

後から調べた結果、オオタタネコという人物は、実はオオモノヌシの子孫であることが分かったのですが、これはこういう理由からでした。

 

かつてこの地に、活玉依毘売(イクタマヨリビメ)という美しい女性がいたのですが、このイクタマヨリビメは、結婚してないのに妊娠していました。

 

<イクタマヨリビメは、オオタタネコの曾祖母に当たる女性です。(´・ω・`)>

 

父母が不審に思って、イクタマヨリビメに訳を聞くと、

 

「イケメンが毎晩私の部屋に来るのよ。そして毎晩一緒に夜を過ごしていたら自然にお腹が大きくなってきて・・・」

 

と答えます。

 

<イクタマヨリビメも、ちょー天然ボケ娘だったようです。(´・ω・`)>

 

<つまり、やることやってたワケですね。(´・ω・`)>

 

父母がイクタマヨリビメに、

 

「その男は誰なんだ?」

 

と尋ねても、イクタマヨリビメは、

 

「わかんな~い」

 

と答えるだけでした。

 

<そのイケメンは、イクタマヨリビメが朝、目覚めるといつもいなくなっていたらしいです。(´・ω・`)>

 

そこで父母は、その男の正体をつきとめるためイクタマヨリビメにアイデアを授けます。

 

長い麻糸を巻いた糸巻きを寝床に用意して、その男が夜やって来たら、男の着物の裾にその麻糸を針で通します。そして、その男が帰った後、糸をたどって男の居場所をつきとめるという作戦です。

 

イクタマヨリビメは、父母の言う通り、男が夜やって来ると麻糸の先の針を男の着物の裾に通します。

 

イクタマヨリビメが朝、目覚めると、やはりその男の姿はありません。でも部屋をよく見ると、糸がピーンと張っています。

 

イクタマヨリビメと父母が、その糸をたどっていくと、その糸は戸の鍵穴を通っています。

 

3人が、

 

「えっ! こんなとこを通り抜けたの!?」

 

と思い、さらに糸をたどっていくと美輪山神社にたどり着きました。

 

というわけで、イクタマヨリビメのお腹の子の父はオオモノヌシであることが分かったのです。

 

後に天皇は、叔父の大毘古命(オオビコノミコト)を北陸へ、従兄弟の健沼河別命(タケヌナカワケノミコト)を東海地方へ遣わし平定させました。

 

<ちなみに、第七代・孝霊天皇の時代に吉備の国(岡山県と広島県東部)を平定しています。(´・ω・`)>

 

そして、天皇の弟である日子坐王(ヒコイマスノミコ)を丹波の国(京都府と兵庫県の一部)に遣わし、朝敵である玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)を討たせます。

 

オオビコノミコトが、北陸からの帰り道・京都を通過したとき、地元の少女が妙な歌を歌っているのを耳にします。

 

「天皇よ、こっそり命を狙っている者が、隙を伺ってるのも知らないで」

 

という歌です。

 

オオビコノミコトが急いで天皇に報告すると、天皇は、「オオビコノミコトの異母兄の健波邇安王(タケハニヤスノミコ)が謀反を起こしたに違いない」と仰せになりました。

 

そして、天皇はオオビコノミコトにタケハニヤスノミコ討伐を命じます。

 

京都で、両軍勢が睨み合います。

 

オオビコノミコトの副将・日子国夫玖命(ヒコクニフクノミコト)が敵軍に、

 

「まず、そちらから矢を放ちなさい!」

 

と叫びます。

 

タケハニヤスノミコが矢を放ちますが、誰にも命中しません。

 

次にヒコクニフクノミコトが矢を放つと、タケハニヤスノミコに命中!

 

総大将を失った敵軍勢は総崩れになります。

 

敗走した敵軍勢は、大阪府枚方市楠葉にたどり着いたとき、ウ○コを漏らしてそのウ○コが袴にかかりました。

 

なのでこの地名を

 

糞袴(くそはかま) → 楠葉(くすば)

 

と言うのです。

 

<「汚ね~な~!」って思うでしょうが、これホントにこう書いてるんですからね。(´・ω・`)>

 

オオビコノミコトは、息子のタケヌナカワケノミコトと福島県会津地方で再会します。

 

なので、この地名を会津と呼んでいます。

 

崇神天皇は、日本列島の各地方を平定された後、歴代天皇として初めて徴税を行い、また灌漑用のため池を作らせました。

 

そして、崇神天皇は、西暦258年の師走(旧暦)に崩御なさいました。

 

<ちなみに三世紀初頭に日本国内で作られた前方後円墳が見つかってますので、崇神天皇はその時代の天皇と思われます。(´・ω・`)>

 

崇神天皇が崩御された後、息子の垂仁天皇(スイニンテンノウ)が第十一代天皇として即位します。

 

次回は、『垂仁天皇のお話』です。

 

話はまだまだ続きます。(・∀・)

 


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