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古事記36:顕宗天皇と仁賢天皇のお話-再び皇統断絶の危機へ- | Just another WordPress site


テーマ:古事記

第二十代・安康天皇の代に、些細な行き違いから皇族同志の殺し合いとなりました。

 

それに端を発して、安康天皇の弟の大長谷命(オオハツセノミコト・後の第二十一代・雄略天皇)が兄弟2人と従兄弟1人を殺害するという事件が起きます。

 

そして、雄略天皇が崩御なさった後、息子が第二十二代・清寧天皇として即位なさるのですが、清寧天皇には御子がいらっしゃらないまま崩御なさいました。

 

大変困ったことになりました。次期天皇の候補者がいなくなってしまうのです。

 

大長谷命が殺害した市辺之忍歯王(イチノヘノオシハノミコ・大長谷命の従兄弟で第十七代・履中天皇の息子)の2人の息子・意祁王(オケノミコ)と袁祁王(オケノミコ)が牛飼い・馬飼いとなって身を隠していたのですが、遂にこの兄弟を見つけ出します。

 

そして、弟の方の袁祁王(オケノミコ)が第二十三代・顕宗天皇として即位なさいました。

 

では、本編参ります。

 

【顕宗天皇と仁賢天皇のお話】

 

顕宗天皇は、お父上である市辺之忍歯王(イチノヘノオシハノミコ)の遺骨をお探しになっていました。

 

<市辺之忍歯王(イチノヘノオシハノミコ)は、大長谷命(雄略天皇)に殺されたんですよね。酷いことにご遺体は飼葉桶に入れて埋められて、お墓もなかったんです。(´・ω・`)>

 

そこに滋賀県に住む身分の低い老婆が現れて、このように言いました。

 

「皇子様のご遺骨が埋められた場所を、私はよく知っていますよ」

 

「そのご遺骨が皇子様のご遺骨であることは間違いないです。何故かって、歯を見れば分かりますから」

 

<市辺之忍歯王(イチノヘノオシハノミコ)は、名前に『歯』ってついてるところから分かる通り、歯が特徴的だったらしいです。八重歯だったみたいです。(´・ω・`)>

 

天皇は、その場所に人を集めて、ご遺骨を探させました。するとご遺骨が見つかったので、滋賀県東部の山に御陵をお造りになり、そこに葬りました。

 

そして天皇は、その老婆を宮中にお召しになり、手厚くおもてなしをなさいました。

 

天皇は、かつて父が殺されるという災難に遭われた時、兵庫県南部に行き、身分を隠し、牛飼い・馬飼いとなっていましたが、その際、ある豚飼いの老人に携帯食を奪われたことがありました。

 

天皇は、その老人を探し出し、河原で斬り殺し、その一族の膝の筋を断ち切りました。

 

このようなわけで、その子孫が大和の国に来る時は、必ず足が不自由となり引きずるのです。

 

そして、その子孫たちに老人のいたところをよく見せ、見せしめとなさいました。

 

<このお方、恩のある人には手厚く報いますが、恨みのある相手には相当執念深かったみたいです。(´・ω・`)>

 

そして、天皇は父親の仇である大長谷命(雄略天皇)を、とてもお恨みになり、何としてでも報復したいと思っておられました。

 

そこで、人を遣わして、

 

「ヤツの御陵をブッ壊して参れ~!!(#゚Д゚)」

 

と、お命じになります。

 

そこに、

 

「ちょっと待った~!」

 

と現れたのが、兄上の意祁王(オケノミコ)でした。

 

意祁王(オケノミコ):

「こういうのは個人的恨みの話だから、人を遣わすんじゃなくて、私が行くべきだろう」

 

と仰って、兄上の意祁王が、御陵を破壊しに行くことになります。

 

そして、雄略天皇の御陵は相当デッカイんですが、これをコテンパンに壊したかと思いきや、そうではなく、墓の脇のところをチョコッと削っただけで帰ってらっしゃいました。

 

天皇は、意祁王の帰りが、あまりに早いので不審に思ってお尋ねになりました。

 

天皇:

「兄上、ちゃんと墓を破壊して来てくださったのか?」

 

意祁王:

「墓の脇のところをチョコッとだけ削って帰って来ました」

 

天皇:

「何故、ちゃんと壊して来てくださらなかったのか?」

 

意祁王:

「お気持ちは分かりますよ。でも、雄略天皇も父上の従兄弟であり、歴代天皇のお一人なんだから、個人的恨みで御陵をメチャクチャに破壊するって、流石にやっちゃいかんでしょう。御陵をメチャクチャに壊しても、小さく削っても、辱めを与えることには変わりない。これで充分でしょう。形を保ちながら、ちゃんと辱めは与える、これが天皇の取るべき道ではないですか?」

 

天皇は、兄上・意祁王のお言葉を聞いて、

 

「大いに道理にかなうことです」

 

と仰せになり、同意なさいました。

 

<なかなか、できたお兄さんですね。(´・ω・`)>

 

顕宗天皇は、天下をお治めになってから8年後に崩御なさいました。

 

お歳は、38歳、御陵は奈良県香芝市にあります。

 

顕宗天皇には、御子がいらっしゃいませんでした。

 

兄の意祁王が、第二十四代・仁賢天皇として即位なさいます。

 

仁賢天皇は、雄略天皇の娘である春日大郎女(カスガノオオイラツメ)を娶って皇后になさいます。

 

<自分の父親の仇の娘を娶るなんて、普通考えられないような話ですが、これこそ皇室だからなんですね。皇統が2つに分裂しないよう、和解の意味も含まれているわけです。(´・ω・`)>

 

お2人の間には、6人の御子がお生まれになりました。

 

男の子は、

 

小長谷若雀命(オハツセワカサザキノミコト)

【後の第二十五代・武烈天皇(ブレツテンノウ)】

他1名

 

の2人

 

女の子は、

 

手白髪郎女(タシロカノイラツメ)

他3名

 

の4人

 

他に、糠若子郎女(ヌカワクゴノイラツメ)という奥さんの間にも、男の子が1人いましたので、計7人の御子がいらしたことになります。

 

仁賢天皇が崩御なさると、息子の小長谷若雀命(オハツセワカサザキノミコト)が、第二十五代・武烈天皇として即位なさいます。

 

武烈天皇は、御子がいらっしゃらないまま崩御なさり、また困ったことになります。

 

次期天皇の候補者がいなくなってしまうのです。

 

皇統断絶の危機です。

 

この皇統断絶の危機をどのように乗り切るのか?

 

次回へ続きます。(・∀・)

 


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