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古事記37:[最終回]第26代継体天皇から第33代推古天皇までのお話 | Just another WordPress site


テーマ:古事記

第二十五代・武烈天皇が崩御なさると、皇統断絶の危機となりました。

 

次期天皇の候補者がいなくなってしまうのです。

 

第二十一代・雄略天皇が、近親者を何人も殺してしまったこともありましたが、そもそも皇位継承権のある人物が少なかったのです。

 

雄略天皇の息子の第二十二代・清寧天皇も息子がいなくて途絶えましたし、第二十三代・顕宗天皇にも息子がいませんでした。

 

第二十四代・仁賢天皇には、息子が一人だけ(第二十五代・武烈天皇)いましたが、武烈天皇も御子をもうけないまま亡くなってしまわれました。

 

そこで・・・

 

福井県から、第十五代・応神天皇の5代孫の袁本杼命(オホドノミコト)という人物を見つけて来ました。

 

そして、袁本杼命(オホドノミコト)が、第二十六代・継体天皇(ケイタイテンノウ)として即位なさいました。

 

<ちなみに、継体天皇と武烈天皇は、ひいひいひい祖父さんが同じ人です。(´・ω・`)>

 

そして、継体天皇は、武烈天皇の妹の手白髪郎女(タシロカノイラツメ)を娶り、皇后となさいました。

 

継体天皇が崩御なさると、息子が第二十七代・安閑天皇(アンカンテンノウ)として即位なさいます。

 

安閑天皇が崩御なさいますと、弟が第二十八代・宣化天皇(センカテンノウ)として即位なさいます。

 

宣化天皇には、息子が一人いらっしゃったのですが、宣化天皇が崩御なさった後、皇位を継承なさったのは、そのまた弟でした。

 

第二十九代・欽明天皇です。ちなみに継体天皇と手白髪郎女(タシロカノイラツメ)との間の御子です。

 

<宣化天皇の息子ではなく、欽明天皇が皇位を継承なさったのは、継体天皇と皇后との間の御子だったからですね。(´・ω・`)>

 

<ちなみに、欽明天皇の時代に、日本に仏教が伝来して、蘇我氏と物部氏との対立が起きるのですが、古事記には、このような内容は一切記述されていません。(´・ω・`)>

 

欽明天皇が崩御なさると、息子が第三十代・敏達天皇(ビダツテンノウ)として即位なさいます。

 

敏達天皇が崩御なさると、異母弟が第三十一代・用明天皇として即位なさいます。

 

<用明天皇の息子が、あの有名な厩戸皇子(ウマヤドノオウジ)、聖徳太子・昔の一万円札です。(´・ω・`)>

 

用明天皇が崩御なさると、そのまた異母弟が第三十二代・崇峻天皇として即位なさいます。

 

崇峻天皇が崩御なさると、用明天皇の同母妹であり、敏達天皇の皇后であった豊御食炊屋比売命(トヨミケカシキヤヒメノミコト)が、第三十三代・推古天皇として即位なさいます。史上初の女帝です。

 

推古天皇の代で、この古事記のお話は完結となります。

 

ここまで、お読みいただきましてありがとうございました。(・∀・)

 

--完--

 


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